何者/朝井リョウ

朝井リョウさんの何者を【再読】しました

単行本版を以前に読んでいたが、
五木寛之/他力を読んでいて「何者にもなれていない」みたいな文があって、それきっかけで文庫版を購入して読んだ。

あんな人でもそんな風に思うんだなぁ、と思って、そいや小説の何者、文庫版出てたなーと(それも3年前みたいですがw)

面白かった。最後のちょい前、こわいこわいw。そいやこんな展開だったなーって思い出しながら読んだ。小説の再読もたまには面白い。
単行本は6年前、もっと昔だと思っていたが。
その時代、Twitterは全盛期、インスタグラムもあったようだ。LINEはなかったみたい?。こういう時代感も見れてオモロイ。

内容は就活時期のもので、その時期には特に響きそうだけど、
今は、読後第一感は、青春は越えているのだろうけど、青い時代の思考だなぁ、と。
(思考が青いという意味ではなく)

そして書籍を離れて思ったのは、
こんな風に他人、友達に対しての人間性について、しっかり見たり攻撃したり、
良い意味や悪い意味で人生を左右させるような言葉を投げかけてあげたりする、
そういうのって、大学ぐらいまでだよなぁ、と。今の時代特に。

人間関係がどんどんどんどん、希薄になっていっているけれど、
人間関係の密度が濃いから何かいいことあるのかというと違う気もしますね。
都会と田舎でも違うとは思いますが。

しっかりその人を見て、その人がちゃんと成長できるように見守ってあげる、
考えてあげる、アドバイスをしてあげる。なんてそうそうない、と思う。
仕事上の先輩後輩では多少そういうのあっても、やっぱり仕事上でのアドバイスだと
思う。

一番あるかな、と思うのは、仕事のパートナーはその人が尊敬できるかどうか、信用できるかどうか、そういうのは大事だと思う。
あとは、恋愛関係、家族関係。人間性が大事であるし、家族間では子育て含めて、
人生をともにする上で思考の在り方は重要であると思う。

瑞月「人生が線路のようなものだとしたら、自分と全く同じ高さで、同じ角度で、その線路を見つめてくれる人はもういないんだって」
「行きていくことって、きっと自分の線路を一緒に見てくれる人数が変わっていくことだと思うの」

ここは再読して一番ぐっときた所かも。
大学の頃までは、ある程度同じ目指すところがあって

例えば、大人になること、就職すること、働くこと、お金を稼ぐこと、卒業すること、社会人になること…

そんな風にいずれもベクトルは同じ、まして同じサークル、同じ学部など
大小なりとも仲間ができれば、その仲間はもっとベクトルが近くなる。

まして、二十歳前後なら、
精神や思考もそこまで差異が無い―あるいは柔軟性があるというか、修正しやすさが20歳と40歳では違うみたいな。

引用に沿って、大学卒業までは、自我を周りを見ながら一緒に作っていくものだから、周りの自我に影響を与えたり与えられたりもする。
卒業して、社会人になってから(数年?)は、自分の物差しをもった状態で人と関わっていくことが多い。

だからまぁ、僕らあの頃、同じ高さで同じ角度で同じ線路を走っていた仲間、
色々あったけど楽しかったし、
あんな風に人生や、人と関わっていきたいなぁなんて少し思ったんだけど、

あんな風な感じは、あの頃だけのものなんだな、と。

人間性とか自我まで深く影響を与えることは稀であるけれど、
社会人になってからも、生きてく上での(仕事をしていく上での)
少し前に流行ったメンターだとか、
それでなくとも、書籍や、著名人(芸能、文化人)等から、いい言葉を貰えることも多いと思うし、身近な人からもちょっとした言葉が重く響いたりすることもあると思うし、また、自分の相手のことを考えた言葉が、自分より下の子らに響いたりもするのかも。

尊敬できる人とかは結構多くいるんだけど、そういう人見習うと自分も成長できる、
あとは、大勢でなくていいけど、もう少し年齢重ねた時に、自分もそんな風に思われるように成長したいものだね。

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