ネアンデルタールとホモ・サピエンス

ネアンデルタール人のほうが脳も大きかったし体格もかなり力強かった。
なのになぜホモ・サピエンスのほうが生き残ったのか?

”番組では、狩りの仕方が違っていた、と。
ネアンデルタール人はその体格を活かして、
大型獣に肉弾戦で立ち向かっていった。
ホモ・サピエンスは、うさぎなど小型の獣を狩っていった、と。

そして、ネアンデルタール人は20人規模の小規模の集団で行動していたが
ホモ・サピエンスは100人などの大規模で行動していったとあった。

大規模で行動したほうが、新しい石器を作ったりしたとき評価できて、
それがよりよく石器が進化したり、色々の食べ物を食べるようになっていき、
種族の人数が多くなっていった。&宗教も生まれていた。

そして気候の変化により、大型獣などが捕れにくくなって、ネアンデルタール人は絶滅に追い込まれた、と言っていた。”

これを見ていた思ったこと
脳が大きいほうが賢いわけだし、ネアンデルタール人はなぜホモ・サピエンスのように生きれなかったのか?
・人間(生物)は、弱いもののほうが少ない知恵を絞り生き抜いていく力が高いのかもしれない。力が弱いもの同士は争いが起きにくい。だから集団を作り、小型獣を狩って、栄養をつけ、少しずつ武器を作ったりしていって大型のけものも取れるように進化していった。逆に、力が強いものはより個人主義が強いのだろう、力が強いからこそその脳の大きさをうまくいかせず、大型の獣に肉弾戦を挑むような狩りしかできなかったのだろう、個が強いもの同士ではなかなかまとまって生活することはしづらいのではないか。獣を狩っても弱いものは譲り合い精神があるのではないか。だから周りの人に肉が行き渡り弱い者の中でも弱いものにもある程度回ってくるのだろう。しかし、強いものは我がつよいために、強いやつがどんどん肉を食べてしまうのではないか。強いものの中の弱い者はどんどん淘汰されていってしまうのでは。
強いものの集団ではより精鋭はできやすいのかもしれないがその数は減っていってしまうのでは。
強いものの集団と弱いものの集団、という観点が大きいかなと。

・しかしながら、その強いネアンデルタールと弱いホモ・サピエンスはどうしてそう分けられたのか?と。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは
祖先、アウストラロピテクス?から進化している分化なわけ?だが、
ホモ・サピエンスはアフリカから、ネアンデルタールはヨーロッパ(フランス、スペイン)、寒い地域のほうが、体格が大きくなり、筋肉が発達しやすいようだ。
というのも筋肉を震わせて寒さを凌ぐためなど。
そういう一つの環境要因もあるだろう。洞窟という環境も集団を小さくさせた要因ではないだろうか?、また食べ物自体も、もともと生息している獣の種類もあったのではないか。おそらく体格、脳の大きさというのは環境によるものが大きいだろう。

・ただもともと進化の過程で遺伝子というのもあるのでは?と少し思ったのだが、
ほとんどは、環境によって進化することが遺伝子の記憶だと思うので、
ほとんどは、そういう環境だからこそ、そういう生き方になっていったのかな?と。
脳が大きいから、かならずしも脳の使われる任意の部分が脳が小さい人の任意の部分より活性化しているとは限らない。

脳が大きく体格が強いネアンデルタール人の中でも心優しい人が居たかもしれないが
そういう人は長生きできなかったのだろう。

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そう考えると人間は(生物は)やはり環境によって、体格もそうだが性格なども色々形成されていくもの、と考えると自然だろうか。

埋葬や宗教儀式はホモ・サピエンスだから(偶然に)生まれたという感じで紹介されていたが、気候が暑く、大きい集団だからこそ、死んだ人をそのまま置いておいたら、腐敗が進むこと、病気が蔓延する。というようなことを理解したからこそ、埋葬文化が生まれたのかな?と。

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